2013

                                                              
          
12 月7日(土)


                    poster

                         栗原玉葉筆  朝妻桜


            春浅い頃、都内の美術館の広告で上の美人画を知り、とても心惹かれたが

                見に行けないまま終わってしまった。

        秋半ばになって、川越市立美術館にこの画が出品され、桜を背後に俯いて

        佇むのは吉原の切支丹遊女朝妻、桜が咲くまで処刑を伸ばして欲しいと願い、

        叶えられた逸話により描かれたという解説を新聞で読んだ。    
          
        今度こそと駆り立てられ、先月末、川越へ行った。街のあちらこちらに、大きな

        ジャパン・ビューティと 題された美人画展のポスターが貼られていた。     

        川越の澄み切った空の下で黒髪に黒い地色のきものが一段と艶やかに際立って

        見えた。副題に<知られざるプライベートコレクション>とあるように、美術館では

        ほとんど初めて見る画が並び、上村松園に師事し、松契という雅号を持つ

              九條武子夫人の画もあり、珍しいと思った。
      
        時代風俗研究家の吉川観方、溝口健二映画の衣装考証で知られる

        甲斐庄楠音(かいのしょう ただおと)など、見る機会の少ない画にも接することが

        できた。朝妻桜は 愁いが漂い、静かな印象を受けた。      

        川越の町は呉服店や履物店が健在で、きものを着て見物を楽しむ若い人達に会うこともある。

            今回もきものの上に大きな三角のショールを巻いて、颯爽と歩く若い女性に会った。
                                                                                                                                                                                                                                                               今風で微笑ましいと感じつつ、時節柄、コート や羽織に思いを馳せた。

        本来、防寒や塵除のために着ていたものだが、お洒落な長丈のコートが流行り始めた頃から

        裏地にも凝るようになり、表の文様に関連のあるものとか、自分の干支に因んでとか、
                                                                                                                                                                                                                                                           遊び心溢れるデ ザインで染めさせて貰った。

        コートの型も道行衿一辺倒だったのが、きもの衿、被布衿、千代田衿、道中着と多様になった。

        卒業、入学式の定番だった羽織も一時期すかっり廃れていたが、やはり長丈として復活したのは

        喜ばしい。

        無双羽織という、別の裏地を付けず表地を折り返し、表と異なった染色を施す贅沢なものもある。

        子供の頃、羽織を着こなせるようになると一人前、と年嵩の方が話しているのを聞いたことがある。

        その言葉とともに思い浮かぶのが切手にもなった、鏑木清方筆の築 地明石町

        この黒い長羽織をしっとりと纏う、風情ある美人画もプライベートコレクションだそうで
                                                                                                                                        何時の頃からか所在不明 とのこと。                                     
                                                                                                                                                                                                                                                             
                                                                                                                                                              
                                                                                                                                                                                                                                                                       coat

                             遠山桜のコート裏



              haori

                                                       菊の羽織り裏



                                                                                                                     
                 haori     haori
                                                                   
                       無双 羽織   表は本友禅の鸚鵡 裏 は雪輪暈しに羽根
                   


                                                                                                                          

            
11月4日(月)


                kimono for child

                                          寿文字の被布
                                                                                   
       
                十一月十五日はきものの日ら しいが、いつからそうなって、どのような意味や       

     行事があるのかは知らず、子供の成長を祝う七 五三に便乗したのだろうと         

       思っている。

     七五三の十一月十 五日前後 には着飾った子供達をよく見掛ける。

     原宿がまだ静かな住宅街だった頃は明治神宮へ参拝する子供をよく見に行った。           

     きもの姿が一番の目的だったが、ヨーロッパ調のお洒落な洋装や、                    

     ディズニー動物の扮装など意表をつく愛情たっぷりな趣向が面白かった。          
                   
     第二ベビーブームの頃は七五三に なると近所の写真館に行列ができ、手伝いを買って出た。                                                                                                                                     
          
     写真を撮る直前にきものの衿やネクタイ、帯の形などを整える作業で、主役の子供だけでなく
                       
     両親、兄妹、祖父母と、多い場合は七〜八人の家族写真となった。
                             
     楽しいので三、四年続けて手伝ったが、途中から不思議に思う ことがあった。

     経験豊かで、子供扱いの上手な写真館のご主人が時々、七才の女の 子のきものの袖に用意した

     B5サイズ位の厚紙を入れてくれといった。袖に張を持たせるためのようで、何度か繰り返す うちに

     その指示があるのは化繊のきものの時だけだと気が付いた。私は女の子の側にいて直接きものに

     触れているので正絹か化繊か分かるが、離れているご主人はどうして分かるのか不思議だった。

     私が指示より先に自分の判断で厚紙を入れるようになると効率も上がり、スタッフ達は喜んだ。                                                                                                                                                                                    仕事が終わりお茶を飲んでいる折、ご 主人に離れていてどうして正絹と化繊の区別がつくのか尋ねてみた。                                                                                                                                                                           淡々とした意外な答えが返って来 た。

     正絹とか化繊とか、きものの知識は全くない。ただカメラを覗くと、自然な流れのきものと、不自然な

     きものがあり、不自然な時だけ厚紙を入れると。

     あの頃から三十五年以上経ち、私も駅にいて向かいのホームに立つ人のきものが正絹か化繊か

     分かるようになった。化繊のきものにはメンテナンスを含め機能的な長所が沢山あり、品質も向上している。                                                                                                                                                                            特にデザインが優れていて、きものを着る入口として最適と考えたりしているが、そのことはまた別な機会に。

     七 五三の子供達を見ると思い出す、ベテランカメラマンの自然な流れのきものという言葉を懐かしみたい。
                     

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                10 月2日(水)                    
                        

       
そろそろ名残の茶事の季節 だ。十一月の炉開き、口切りを控え、今月は古茶に名残を惜しむ茶事が

      行われ、この時ばかりは紬のきものを着ることも許される。そして好まれるのが、枯松葉、落葉、散菊など の

      吹き寄せ文様。上前に少しとか、裾裏だけにとか、元来茶人は仰々しい文様を避けるが、今月は格別、            

     
侘、寂の極みというべきか。


              kimono

                               吹き寄せの附下

                                     
                      
     
9月4日(水)

       燃え立つように群生する曼珠沙華は手に取るとふんわり丸く、長い蕊が勢いよく周りに反り返ってい る。

      子供の頃、この花を首飾りにして遊んだ。茎を一cm位ずつ左、右と交互に折ると鎖のようになり、

      胸先で赤い花が豪奢に揺れた。

      都会に住むとこの花に出合うのは難しく、記憶に留めるため、きもの類の文様としては好ましくないのを

      承知で帯を染めたことがあった。その時改めて図鑑などを見ると、ふんわり丸いのは六片の小さな百合が

      集まっているのだと分かり、真上から眺めたデザインにした。長い蕊が自由自在で何とも楽しく、
             
      「赤い花なら曼珠沙華」という唄が思わず口を衝いて出た。彼岸の頃に咲くので彼岸花は通称だが        

      トウロウバナ、ユウレイバナ、シビトバナと呼ばれるのはちょっと戦き。しかし、染め上がった帯を見て

      何の躊躇いもなく「あら、欲しいわ。」といってくれた方がいらした。もう二十七、八年も前のことだが、

      気っ風のいいその方は今でもよき後援者でいてくれる。

  

            obi

                                                                   曼 珠沙華の帯

 
                             
       
8月2日(金)

        八月生まれの故人を偲び、源氏物語の 歌を染めた帯。麻地、短冊は本友 禅、歌は写し糊。


               obi


                         空蝉の身をかえてける木のもと になほ人がらのなつかしきかな


      盆踊は本来、祖霊を迎え供養するものだが、阿波踊、郡上踊などを見ていると主役は現世を

      楽しむ大衆だ。近年、浴衣の人気が上がり町内の盆踊もファッションショーのようで、熱気がある。


poster  秋田の西馬音内(にしもない)盆踊を知ったのは久米宏さんの

  ニュースステーションだった。テレビカメラが追う篝火 に映えた

 盆踊りの光景は、かって見たこと もない妖しさを秘めていた。

 女性達の藤色、赤、黒を基調とした深趣な端縫い衣装、            

 反った編笠を深く被り、顔は見えない。藍染衣装も交ざり、
                                                                                              顔をすっぽり隠した黒い目だし頭巾は不気味 であり、     

 彦三頭巾 というらしい。

  緩やかに流れるような仕種、哀調漂う音色に導かれ、正に
                                                                                              祖霊と呼応するかのような風情だった。       

 あの時、希少な盆踊だと感銘を受け、実際に見たいという                

 衝動と同時に、安易な観光は控えるべきという自制が働き、

 何年も経ってしまった。今もあの時のような風情が守られているか        

 どうか気掛かりでならない。







      秋田・芸能者昔語りと い う古い本を読んでいて、西馬音内盆踊と並び有名な毛馬内(けまない)盆踊の         

      写真を見て驚いた。女性達が黒留袖を着て踊っているのだ。夏の絽ではなく、袷の黒留袖、なぜ?

       伝承者としてインタ ビュうーを受けたおばあちゃんの言葉に「タンスの底を着て踊る」というのがあった。

      「フワフワしたいい小袖を着て、夜露にあたるから色もおかしくなる、着物もやつれる」 と続く。夏とは関係なく           

      自分が持っている一番上等なきものを着て踊る、一年に一度の楽しみなのだと語っていた。男性は丹前か
                   
      黒紋付、浴衣でも暑いのに黒留袖や黒紋付などはどんな に暑いだろう。それでも、楽しみな大切な
 
      行事として今も続けられている。

      第二次世界大戦中、アメリカの日系強制収容所を内部から撮った写真に、盆踊のため集まった

      若い女性達のきもの姿がある。私はそのきもの姿に見蕩れ、そして切なくなった。きものは浴衣ではなく

      晴着。アメリカの気候や季節は分からない。遠い異国へ渡るには荷物の制限もあっただろう。

      若い女性達にとって、その晴着は一張羅だったかも知れない。毛馬内盆踊のおばあちゃんの

      「タンスの底を着て踊る」という言葉を思い出した。それにしても、きもの姿の女性達の嬉しそうなこと、

      全身から喜びが伝わって来る。異国で、しかも不本意な状況に置かれ、きものを着るということは

      どんな感慨を彼女達にもたらしただろうか。私の脳裡にアイデンティティーという言葉が過ぎった。


               kimono 
                    

                          

               
7月3 日(水)


         向暑の頃、近くの空地の片隅に露草の花が咲く。雑草に紛れているので通り過ぎる人は

      ほとんど気付かないようだが、友禅染に縁深いこの花に、私は必ず触れて挨拶をする。

      友禅染では生地に下絵を描く時、青花という和紙に滲み込ませた露草(オオボウシバナ)の花液を使う。

      花液は、藍色で透明感があり、水で洗うとさっと消え、描き直すこともできて重宝、

      先人の知恵に感心する。


                      obi

                         蛍と露草の帯  
                                   


     百貨店の誂え染コーナーにいた頃、青花にまつわる示唆に富む体験をした。

     呉服売場を歩いていた恰幅のいい外国の紳士が、私のいたコーナー前で、ピタリと立ち止まり

     通訳の女性に真剣な表情で話し掛けた。何事かと思いつつ、通訳してくれるのを待っていると、

     ディスプレーしているきものが欲しいとのこと。そのきものとは、仮仕立てをした白生地に青花で
                       
       
     模様の下絵を描いたもので、完成品ではなく、友禅染の工程を見て貰うためのものだった。

     洗うと模様が流れてしまうと説明したが、ガウンにしたいらしい紳士は真剣な表情を崩さず

     白生地のきものに魅入っていた。白生地といっても季節ごとに文様を描き変えるので、何度か
        
     水で洗い、真っ白ではなく生成りのように見えていた。

     その頃の呉服売場には色々なコーナーがあり、ありとあらゆるきものが飾られていたのに

     なぜ、生成り地に藍色? 確かに、この取り合わせは人の心をそそる美しさがあった。私は

     紳士の審美眼に敬意を払いつつ、提案をした。青花ではなく、幾らか透明感に欠けるが青花に

     似せた顔料で描けば流れない、白生地は時間が経つと自然に元の生成りになると。

     それでOK、但し、明日帰国という返事だった。それから大車輪、まず係長に頼んで、空港へ

     届けて貰う外商の人を手配、すぐに白生地の仮仕立て、深夜先輩の友禅師に図案と白生地を渡し、

     明朝までに描き上げて貰うことにした。

     届けてくれた外商の人の報告で、その紳士は百貨店のオーナーと懇意のイタリアのプロフェッサー

     だと分かった。仮仕立てのまま納めたが、きものに一目惚れした情熱で、何とかガウンに縫い

     愛用してくれるだろうと思った。

     それから後年、ロベール・ブレッソン監督の「や さしい女」という映画の中で、十六才のドミニク・サ ンダが

     絽のきものをガウンのように羽織っているのを観た。外国の映画や演劇で、きものを面白く扱うのを何度も

     観たが、病んだドミニク・サンダの羽織る、薄い鳩羽グレー地に墨色でさり気なく描かれた文様のきものは

     深く、心に残った。ロベール・ブレッソンと、かのプロフェッサーの審美眼には合い通じるものがあり、

     きもの、或いは全ての衣服に対しての本質を示唆しているように思えた。きものの多彩な豪華さを

     賞賛するのとは一線を画した、冷徹さを感じた。

     きものとは、着る人を美しく見せるもの。それを知るのに国境はないようだ。                                                                      
                                    
                        
                                                                                                  
                                                                                     
                          5 月17日(金)


             藤

                        高松で見たピンクの藤
 
            
       五月の連休は家に籠もって仕事をしていることが多い。人込みを避けるということもあるが、

     仕事を始めて毎年、春から盛夏にかけて秋物や正月、成人式用仕入れ品の作業に追われ、

     連休は忙しいと記憶に刻まれたからかも知れない。   、
       
     ちょうど連休には藤の花が咲く。 藤の花の文様はきものや帯に、季節を度外視し た人気がある。   

     特に古典芸能で、藤の字を冠した一門に関わる方々は表象として、常時好まれる。



                   obi of wistaria

                                                    素描友禅 藤の帯                                                                              
                                                                          

                             




      4月2日(火)

        渋 谷から歩いて5分ほどの金王八幡宮には、一重と八重の花が混じって咲く、

      珍しい桜の名木がある。源頼朝が、父義朝の忠臣渋谷金王丸を偲び、鎌倉から移植させ

      金王 桜(こんのうざくら)と名付けたといわれている。私が仕事を始めた頃は、この八幡宮の近くに

      住んでいたので何度か御参りに行った。普段の境内はその頃も、工事が続く喧騒の渋谷駅界隈

      とは関係なく現在も、人気が少なく静かだ。四五年前に八幡宮で貰った金王桜の写真入り栞を

      今でも、きものの専門書に挿んであり、それを見ると初心に帰ることができる。


                                                                                       
                                    obi



               花見といえば上野公園だが、大勢の人達で賑わう場所から少し離れ、時期も少し遅れ、                           
                                                                                                   
              楚々として咲く枝垂桜があり、秋色桜(しゅ うしきざくら)という。江戸時 代、小網町に住んでい                                
                                                                                            
                                                
      
若い女性の俳号から名付け られたらしい。小さな淡紅の花、花もいいが枝も細く、しなやかで
                                                                     
      
葉を落とした時期も流れるような清々しい風情がある。   
                                                                              
                                                                     
                                            

                                             obi

                                                                                                         

                                                  

        中野の仕事部屋は桜並木に面していたが、ゆっくり花見をした 記憶はない。

      ほろ酔いで浮かれ歩く人達の声を聞きながら夜更けまで仕事をし、それなりに楽しい気分を

        感じていた。一息付いてベランダから外 を見ると、ぼんぼりに映える桜並木はどこまでも続き、

      心地よい疲れのまま、異次元に誘われるようだった。
              


                             obi


                                           
                     

      3 月2日(土)

         先日柳橋での集まりが あり、浅草橋駅で降りた。駅の近くにはテレビのコマーシャルなどで

        聞き覚えた老舗の人形問屋 が並び、雛祭の時季ということもあり、華やかな活気に満ちていた。
             
        いつもなら通り過ぎるのだ が、ふと里心が付き、中を覗いてみることにした。さすが人形問屋、

       古 風でオーソドックスなも のから、ミニキャラクター、リヤドロの雛まで多種多様、見応えがあった。

          
       家内で楽しんだ雛祭が、最近は地域を挙げてのイベントとなり、ツアーなども組まれている。

         
       目黒雅叙園の百 段雛まつりも年毎に入場者が増え、今年は一日あたり五十台近くの観光バスが

        訪れることもあったらしい。


 

                                    雛 祭の帯       obi

                                                                                                                                    
                                                                                                                           
                                             
              物心が付く頃、雛祭の時季には座敷の床の間に赤い毛氈の雛壇が飾られていた。幼い私が

       不思議に思ったのは、雛壇の横に私と同じきものを着た、かなり大きい市松人形が立っていたこと。

                                                                 
       なぜだろうと思いつつ、祖母や母に尋ねることもなく極彩色の館のある雛壇よりも、その市松人形を

       一人、遠くから眺めていた。私と同じきものというのが、ちょっと不服だったのかも知れない。

       後になって、健やかな成長を願い、病気や災厄から子供を守る、身代わり人形だと分かった。


       もう三十年以上前になる三月、植物染織研究会のお仲間達と埼玉県にある遠山記念館へ行った。

       当時、山辺知行先生が館長で、御直々に展示品の解説をして下さった。先生は染織界の重鎮で

       その知識は深く広汎、そして蒐集家でもいらした。展示品には先生が蒐集された享保雛もあり

       その人形に纏わるミステリアスな因縁話を伺いながら、江戸時代から何人もの人の手に渡り、

       少しずつ色褪せ、現在そこに粛然と座しているのは、人形が長い年月の間に魂を込め、 

       自ら、先生を選んでそこにあるのではないかと考えたりした。それを御承知でもあるかのような

       先生の情熱的でシニカルな口調を、ひんやりとした三月になると思い出し、

       人形には魂が宿るのだと信じたくなる。                                                                                                                           
 

         
                  2 月2日(土)

         雪中花とも呼ばれる水仙は、庭の片隅にひっそりと咲いていることが多い。その芳香は優しく

       囁くように、春が近いことを告げてくれる。



                         obi



             上の写真は、季節ごとに草花などの ご註文を下さる方の、塩瀬地水仙の帯。

      昨年の暮にお納めしたら、俳句の新年会に紬のきものに合わせてお締めになるという

      弾んだお電話を頂き、嬉しかった。

      年の初めはきものでの外出が増える。東京七年振りの大雪翌朝も、きもので浅草へ行くことに

      なっていた。最寄り駅までタクシーに乗るつもりだったが、玄関先の広い道は物凄い渋滞で、

      数珠繋ぎの車はほとんど動かず、諦めて歩くことにした。転ばないよう足元ばかり見て歩いていると

      行き交う人が何度か道を譲ってくれた。アレッと思った。最近、バスや電車の中でもよく席を譲られる。

      年齢を考えると不思議なことではないと笑われるかも知れないが、年齢とはちよっとニュアンスが違う

      ように感じる。席を譲ってくれるのは、若い、恐らくきものを着たことがあるらしい女性で、

      私がきものを着ていて、さぞ大変でしょうという心遣いだと思う。有り難いことだが、私は戸惑い、

      少し寂しく思う。きものが日常から離れ、特別なものになってしまったということだから。

      私はきものを着て自転車にも乗れる。自動車ではありません。

      そういうと若い人は驚くが、以前、きもので生活する人が沢山いた頃は見慣れた光景だった。

      仕事を始めて間もない頃、近所の珈琲店へきもののまま自転車で行こうとしていた途中

      愛飲仲間に会い、「奇妙な格好してるね。」と眉を顰められた。あれ以来、自粛しているが

  
      郷里ではまだ見掛けることがある。道行コートを着て自転車に乗っている御年配の方には


      脱帽だった。道行コートをお召しなのは近所の買物ではなく、遠方へ行かれる筈だ。

      負けずに、もっと自由に、もっと自然にきものを着よう!




            1月7日(月)

               元日の東京は清々しく晴れた。高く澄んだ空から鳥瞰的に見れば、

      北の日本海に面した地方は、深い雪に包まれていることが分かっただろう。佐渡島も。

      「 一面の雪の中に、ぽつんと一軒、小さなあばらや。」と始まる戯曲夕鶴は佐渡島にゆかりがある。

      民話鶴 の恩返しは幼い頃より知っていたが、十代半ばで読んだこの戯曲は美しい言葉を通し、

      雪よりも、むしろ、透明で鋭い、氷のような印象を残した。そして、その印象は、社会に出てからも、

      上京してからも、不思議なえにしを生み、私を支えてくれている。

      北の厳冬に想いを馳せながら、年頭は夕 鶴の帯。金通し地、本友禅染。

      舞台の衣裳に使われている手綱暈しも入れてみた。

      夕 鶴作者の木下順二先生は無類の馬好きで、ぜ んぶ馬の話という本も書かれた。衣裳に使われた

      染が手綱暈しと呼ばれることをご存知だっただろうか。                          
                         
       健やかな一年となりますように。



                 obi



                          
                                                      obi
                                             

                       
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