2016年

12月30日(金)   
              
昨年の12月に納めたピエロのの写真が届いた。ディナーショー用のコーディネートで

着付もパーフェクト。こんな写真を見ると励みになる、来年も心して染めますと。

                         
      obi          
                                       obi                                                                                                                                                                                      


11月18日(金)

10月、11月は身近で興味をそそる催しが続く。その中で特に心に残ったものをあげてみたい。
      

          
手力男(たぢからお)
       kagura                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              鈿女命(うずめのみこと)       神楽
                                                                
                                                            
柴引き                  kagura

上の写真は十月に國學院大學で催された、宮崎県の<日之影神楽>。最北山間部から上京した保存会

有志の面々が、本来なら夜を徹して奉納する演目をダイジェストで野性味たっぷりに披露してくれた。

軽妙な笑いを誘う神楽とはまったく違う、日の光と土の匂いを感じさせる生命力に満ちた舞いに圧倒され、

忘れかけていた何かが体中に蘇るようで涙が出そうになった。

<柴引き>など、あばれ神楽と称される演目や後見の濃紺のきものに袴姿が、当たり前のことながら極

自然で、日常にきものを着ていた明治時代の書生を連想させた。男性がきものを着るならば、かくあるべし。


紅の力たどる一跡 吉村晴子の仕事>
                
       red       

                   red
                              
                   red                            
                                                   
高崎へ<紅の力たどる一跡 吉村晴子の仕事>という個展を見に行った。

吉村さんは高崎の紅染工場創業家に生まれ、昭和初期に衰退した紅板締めの復元に

取り組まれている。分野は友禅と異なるが、染色の先輩だ。

紅の地色に型板を使った技法で白い文様を作るのが紅板締めで、かってきものの裏地や

長ジバンなどに持て囃された。今回、高い天井の会場には新しい型板を使った装飾品、

古布のコレクション、美術展に出品された紅が基調の屏風、タペストリーが並び、正に

紅の力が漲っていた。

紅板締めの生産は昭和初期に終わったが、戦前のきものの裏地=胴裏はほとんど

モミという深い無地の紅染だった。現在は白一辺倒になってしまった。薄色のきもの

流行や、モミの色落ちなど機能的な原因もあるだろうが残念だ。しかし紅は、芸者さんの

襟元や、履物の前壺などに使われ、ハッとするような色香を放っている。


         red

上の写真右、男物のように地味な祖母のきものの振りにモミを付けた。若い頃から好く着ている。

横の可愛い小物は、吉村さんに初めてお会いした折に頂いた。古いモミを使って御自分で縫い、

周りの親しい方々に差し上げているらしい。今回、「お手玉のように見えますが、何という名前ですか?」

と伺うと、「何だったかしらねぇ」と、おおらかな御返事。
              
                  
      
9月9日(金)               
                  
秋になり、お酒といえば猩々を思い浮かべる。月光に照らされ汲めども尽きぬ酒壺のそばで水と戯れる猩々。

の文様として何度か登場させたが、写真として残っているのは、この一枚だけ。      


                素描友禅  猩々の帯

             obi
    
      
8月8日(月)
               素描友禅  敦盛の帯
               obi 
    
中学生の時、山本松枝という女優のような名前の国語の先生がいらして、授業中によく能の話をしてくれた。

戦死なさった御主人が使われた謡曲本を開いて見せて下さり、いかに能が素晴らしいかということを

繰り返し繰り返し熱っぽく語られた。中学生に謡曲本の字はほとんど読めなかったが、朱筆が入り、かなり

使い込まれていることだけは分かった。舞台の構造や、演目によって置かれる作り物という簡素な手作りの

装置のことなども教えてくれた。そのような経緯で、上京した私は何の抵抗もなく能を観るようになり、

きものの文様にも取り入れた。

”高砂”や”羽衣”の黒留袖が多かったが、最近やっと私の好きな十六の面で登場する”敦盛”のを染める

ことができた。八月ゆかりの敦盛は笛の名手としても有名。


                                         前の文様は若葉の笛
                obi


       
7月21(木)

         catalog

雨の日が続く中、渋谷Bunkamuraの<西洋更紗 トワル・ド・ジュイ>展へ行った。

ギンギンに冷えた会場で更紗の変遷を見ていると、不思議な旅をしているような錯覚に陥った。

藍と茜を基調としインドから始まったとされる更紗は世界の人々に愛され、さまざまな場所や

時代の想いを加味して多彩になり、卓抜なデザイナーよって洗練された単色になり、

自由自在に伸びやかに身近な装飾品として生活を潤してきた。

フランスで染められ名声を博したジュイ(ヴェルサイユ近郊の更紗工場があった村)の布は

王妃マリー・アントワネットにも好まれ、ドレスの断片が本の装丁となって展示されていた。

更紗は木版、銅版を使うことが大半だが、王妃のドレスは手描きだった。白地に素朴で

優しい花や蝶、小鳥が描かれていた。この頃の手描きは女性達が自分の髪の毛で作った

細筆を使ったそうだ。

下の写真、長閑で温かみのあるジュイの布も木版に手描きが加えられている。手描きという

解説があると、つい近くへ寄って見入ってしまった。
      
                                              
庭師たち 1780年頃   フランス         sarasa

私はなぜか更紗を描くのが好きで、何度か自己流できものを染めたことがある。

そしてその都度、着用して下さる方が現われ手元には残っていない。ジュイの布の

ユーモラスな空想の昆虫や植物を見ながら、更紗には文様も技法も特に規定がなく、私が

描いたものを自己流という必要もないなあと感じた。着用して下さる方が現われることも、

室町時代に初めて輸入された更紗が茶人、文人に珍重され、やがて

インドのオランダ商館が日本人向けの更紗の製造を現地の職人に指示していたという記述

から理解できた。つまり誰もが更紗好きだということで鎖国になってからも更紗の輸入は続き、

幕末近くには西洋更紗がインド更紗を凌ぐ。日本独自の和更紗も産まれている。       

今回の個展にも全通の更紗帯を出した。同じ文様を繰り返し繰り返し描くので日数も忍耐力も

要した。会場では何人かの方に「型染ですか?」といわれた。

                            
全通の更紗帯          sarasa obi

ありがたいことに、このにも御希望の方が現われ手元を離れることになった。

輪廻など信じてはいないがジュイの布を見ていると、澄んだ川が流れ草原が広がる

ヴェルサイユ近郊の村で、前世の私も自分の髪の毛で作った細筆を持つ一員では

なかったかと思えてきた。

不思議な旅とはそういうことで、私は遠い日のジュイの風を確かに感じた。

          
7月8日(金)


           kimono of baby


                     kimon of baby

今回の写真は絽の一つ身、赤ちゃんのお宮参りに使い、その後三、四才くらいまで

着られるきもの。極薄いサーモンピンク地に赤紫の絞りと型の竹が染められていて、   
     
お母さまの「淡い色で」という御希望により白菊と濃淡の撫子、銀の流水を六月生まれの

一花(いちか)ちゃんのために描いた。お健やかに、花のように育ちますように。
          
     
    
6月17日(金)

銀座 ”ギャラリー江”
         gallery

 これは五月末に開いた個展会場の飾り付けを終えたばかりの写真です。

お蔭さまで大勢の方々に見て頂き、心より御礼を申し上げます。

ドアの右と左に掛けてあるのは、今回初めて試みた絹芭蕉に顔彩の壁掛け。


           tapestry


                                 tapestry
                                 

                                 tapestry


三種作りましたが、それぞれお買い上げとなり、金魚は「ツキジ、ツキジ(築地)」といって

道を尋ねに入ってこられた外国の若いカップルのお持ち帰りとなりました。
                                                                                                                                                                                                           
          

 5月1日(日)

4月から始まった朝ドラ<とと姉ちゃん>の冒頭で、高い櫓のような干し台に染め上がった

反物が風になびく光景があった。私にはそれが浜松であること、遠くに海(湖かも?)が見える

空地であることが新鮮だった。以前、東京の川沿いではよく見かける光景で、高田馬場から

早稲田へ歩く神田川の近くにも僅かながら干し台が残っていた。浴衣や手拭だけでなく、絹の

小紋染も見たことがある。空地が少ない東京では屋根の上に組まれれることが多かったようだ。      

広重の”名所江戸百景”にも描かれている。

                                
神田紺屋町           ukiyoe

神田、浅草などで盛んだった浴衣や手拭の染職人達が関東大震災以後、神田川の水を求めて高田馬場、

早稲田に移り住み、また木綿の産地で有名な浜松へも流入したということだ。

                      
法被の形に畳んだ手拭
            happi
                          
上の写真は以前、講談師二代目悟道軒圓玉さんが襲名の折、挨拶用として染めた手拭で、

私がデザインした。広げると下の写真のようになる。
      

                tenugui

最近、早稲田大学の裏通りを歩いていて、タオル店のショーウインドーで法被の形に畳んだ少し色褪せた

手拭を見つけた。個展に来て下さる方々に差し上げるのもいいなあと思い、店内に入り加工代を尋ねた。

ショーウインドーに飾っていることさえ忘れている様子で「工場に聞いて見ます」という答えだった。

2、3日経っての返事では畳める人がいなくなり注文を受けるのは無理とのこと。「昔は大学からも沢山

注文があったんですがねぇ」とぼやいた。後日、タオル店の前を通るとショーウインドーに飾っていた

法被の形の手拭は消えていた。
                 
     

4月2日(土)

春うららというには、まだ心もとない。桜が咲いても、雹が降ったりする。

現在、5月の個展に向けて準備をしているが、下の写真は初めての個展の時に

染めた色留袖。明治、大正の日本画家、池田蕉園(1886年〜1917年)の

絵からヒントを得た。

      
         kimono
     
遊女だと思うが、姉妹のように穏やかな表情で庭を眺める絵は、春の宵を連想させた。

後の草紙を読みながら、うたた寝をする遊女の文様も蕉園の絵から写した。それまで

問屋の仕事であれ、個人の仕事であれ、何らかの制約を受けるものだが個展となれば

自由に染めることができる。その解放された嬉しさをこの写真を見ると思い出す。ただ

染めてみたいということが優先し、このように大胆な文様の色留袖を着ようという方が

現われるかどうか疑問だった。何と、お若い高校の教諭が現れた。教え子達の

結婚式に招かれる機会も多いらしい。後日、お召しになられた御感想を伺うと、

「私の顔を見ないで、きものばかり見るのよ」と笑いながら仰った。妙に満足そうで、

ありがたいことだと今でも感謝している。


              kimono
    
           

3月16日(水)

春になると京都の茶屋街では申し合わせたように仲居さんたちが絞り染の帯を締める。

これは40年位前、頻繁に京都へ行っていて気がついたことだ。染帯は春にとよくいわれ、

特に京都では、その代表である絞り染が好まれるのだろうか。


           obi

      
この絞り染のは京都の老舗片山文三郎商店の製品で、鹿の子が太鼓の上から下に向かって段々と大きく

なっている。私の自慢ので、大切にしている。

片山文三郎商店は絞り染の伝統的な技術で、きものに限らずスカーフ、バッグ、アクセサリーなどを奇抜な

色彩とデザインで開発し、海外へも進出している。国内ではデパートや美術館のグッズコーナーで見かけることが多い。
                      
       

2月2日(火)
                           
越後獅子 素描友禅帯       obi  

  
泉鏡花の<春昼後刻>を読んで以来、いつか越後獅子の文様を染めてみたいと思っていたら

昨年の初冬にの御註文があった。若い頃から長唄を続けておられる方で、新年会に締めたいという

御希望だった。”越後獅子”は長唄の代表的な名曲で、私も舞台で演奏を聴いたり、舞踊を観たりした

ことがある。手元に錦絵や人形の写真など越後獅子に関する資料は少しあったが、今風にPCで調べてみた。

出るは、出るは、ものすごい数のデーターが出てきた。

やはり美空ひばりの”越後獅子の唄”がトップに、嵐寛寿朗主演の映画<鞍馬天狗>の中で美空ひばりが

扮する越後獅子の少年杉作が唄う物悲しい旋律の唄だが、明るく健気な杉作の演技と共に多くの人達の

心を捉えた。久し振りに映画を観た幼い頃を思い出しつつ、長唄に相応しい越後獅子をと思いながら染め、

先月の末に無事お送りできた。

                     
                     obi
     

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