2017年

12月2日(土)

             本

京都から美しい帯を表紙にした<西陣織屋のおぼえ書き>という本が送られてきました。

著者の高尾弘さんは西陣の工芸織物”桝屋高尾”の会長で、御歳八十二。 私が

デパートの誂染コーナーにいる頃、<全国植物染織研究会>などを通じ懇意にさせて頂き、

多大な薫陶を受けました。

この本は京言葉で語りかけるように、親しみやすく書かれています。以前に御一緒した車中や

宴席で直接お話を伺ったこととも重なり、懐かしく一気に読み終えました。お若い頃から変わらぬ

情熱と信念に、改めて背筋が伸びる思いです。

         
            きもの


上の写真は1970年代に高尾さんが作られた植物(槐)染のきもので、手元にあります。

裾回しは少し凝って自分で染め、異国風の友禅染を合わせました。

鮮やかな黄色の無地で光沢もあり、袖を通すにはかなり気合がいります。これからも、

きものに叱咤、激励されているつもりで愛用したいと思っています。

                   
高尾 弘 著            
<西陣織屋のおぼえ書き 京都西陣織の系譜と世界の染織世界文化社                    
        
     
11月2日(木)               

秋たけなわ、近年人気のワインにかかわる葡萄文様です。             

茶道の先生が「葡萄文様は豊かさを意味するのだから、秋にこだわらず身につけていいのよ」と       

仰ったことがあり、私の好きなお酒と演劇の神であるディオニュソス(バッカス)を連想させるので

きものにもにも大いに活用している文様です。

 博多帯に描いた金彩友禅の葡萄文様
            obi

             
葡萄色は古来、エビイロと読みました。女学生に復活しているエビチャの袴も

海老茶より葡萄茶の方がしっくりするように思います。



10月9日(月)
 
出番を待つ流鏑馬の武者と馬達
            流鏑馬
               
以前に私がよく歩く神田川の面影橋近くの水稲荷神社で流鏑馬が行われていた。

見たいと思いながら機会を逸し、いつの間にか水稲荷神社では行われなくなったが

高田馬場という地名から馬に因む古式が無くなるはずはないと思っていた。

最近やっとネットで調べ、少し離れた広い戸山公園で毎年、体育の日に続けられていると

分かり今年こそ!と決心して出かけた。圧倒されるほど大勢の見物人が集まっていた。

目当ての装束も本格的で、有意義な時間を過ごした。
             
的に向かう        流鏑馬 

装束は五騎それぞれ朱、萌黄、金茶など鮮やかな色彩の狩衣に錦の射籠手(いごて)、

両腰に結んだ鹿皮の行騰(むかばき)と想像以上に立派だった。さすが将軍家ゆかり神事。

       
左腕の紺の錦が射籠手  袴のように見えるのが行騰

              流鏑馬

マイフェイバリット ホース
             流鏑馬

ネットで見た、懐かしい牛乳石鹼のマークのような馬が今日も出場していた。周りの

子供達は馬の体の模様から牛を連想するのではなく、「パンダだ! パンダだ!」と

はしゃぐのである。


       
9月4日(月)

気軽にきものを着る時は名古屋帯を締める。

名古屋帯は大正時代、名古屋在住の女性によって仕立方が考案された帯なので

そう呼ばれるようになったと聞いている。用尺が短く前の部分を二つ折りに仕立るので

締めやすい。地元百貨店の率先した売り出しもあり、最初は染帯だったが織帯も加わる

ようになり、広く全国的に普及した。現在は錦の織帯であれば名古屋仕立でも

準礼装として通用する。

         
美人愛猫図        絵はがき 

上の絵葉書は幾重にも巻いた細い組紐の名護屋帯

こちらは肥前国(現在の佐賀県と長崎県)名護屋で作られ桃山時代から江戸初期にかけて流行し、

男女ともに用いられた。名護屋帯は遊女や傾き者(かぶきもの)から始まり、次第に一般庶民も

使うようになったが、帯の幅は江戸末期に向けてドンドン広くなり今のようなお太鼓結びに辿り着く。

スタンダードなお太鼓結びのきもの姿は美しいが、着付が複雑だ。名古屋仕立のお蔭で帯結びは

多少楽になったが名護屋帯にはかなわない。

Tシャツに対丈のきもの、帯は半幅でもいいが思い切って洒落たベルトやリボンなどを工夫したら

どうだろうと、名護屋帯を知ってから思うようになった。
                                                                                                                                                      
                                                
         
                                    
8月4日(金)

阿佐ヶ谷七夕まつり
         阿佐ヶ谷七夕まつり

阿佐ヶ谷七夕まつりへ行った。初日、午前中からすでに混雑、大人も子供も笑顔がいっぱい。

パールセンターというアーケードの長~い商店街は昔から活気がある。この商店街を歩くのは

何十年振りだが、私の知っている呉服屋さんや染物屋さんも健在だった。和装雑貨屋さんは

御夫婦そろってきもの姿で応対していた。
        
老舗の呉服屋      呉服屋

染物屋  端切れ布や小物を店頭販売   
           染物屋

和装雑貨屋きもの倶楽部 ”風流
”  御主人も風流
             和装雑貨屋
     
やはり花形は子供達の浴衣姿だ。昔、浴衣には鹿の子絞りの帯を結んだが

今回は化学繊維の軽そうな生地にレースをあしらった帯が多かった。

動き回るとフワフワと、まるで金魚が泳いでいるように見えた。


保育園児  先生は外国人
             保育園児          
      
                          

7月12日(水)
                立葵の帯
                  立葵の帯
    
この帯を御註文頂いた折、朝早く近所の妙正寺川にかかる橋まで立葵を写生に行った。もう二十五年以上前のことだ。

子供の頃、四国で見た立葵には黄金虫がたむろしていた。炎天下の赤い花にブンブンと金色に輝く青緑の丸っこい虫。

極彩色のコントラストに夏を実感した。それに比べ東京の橋の袂に咲く立葵はスッキリと静かな様子だった。

立葵は花弁のフリルも綺麗だが、空に向かって真っ直ぐに伸びる長い茎も好ましい。この帯も垂下からお太鼓へ、

締めると見えなくなる長い茎を省略せずに描いた。

こうした隠れた作業も無駄ではなく、帯を締めた時に迫力となって現われるから不思議だ。                        
        
    
           
               
7月2日(日)

半夏生(はんげしょう)は夏至から数えて11日目、紅花が咲き始める。

半夏ひとつ咲きといい、紅花はこの頃まず一輪、朝露に濡れひっそりと咲く。

それを合図のように畑の黄色い蕾は日毎に増え、花開き、紅色を帯びて、

本格的な夏の訪れを告げる。

  まゆはきを俤にして紅粉(べに)の花

山形を旅した芭蕉は紅花から化粧道具の眉掃きを連想したようで色っぽい。

                 
紅花        紅花

紅花から染料や紅を作る過程を描いた”紅花屏風”を見たことがある。

広い庭先に家族や近隣の人達が集まり、分業で仕事をする様子には長閑さが感じられた。

しかし、その染料を使ったきものや紅を身に着けられるのは限られた階級の人達だけだった

だろう。現在も紅花紬などは贅沢品だ。


茶道用の紅花染袱紗 黄味の深い赤 
           袱紗 

郷里香川県の農家では忙しさが一段落した半夏生の頃、麦刈りや田植えを手伝ってくれた

人達にうどんを振る舞う習慣があるそうだ。それで7月2日はうどんの日になったと聞く。

うどん県というのも面映ゆいのに、半夏生がうどんの日とは紅花に申し訳ないように思う。
   
    
                        

バラの帯       obi

バラは6月の誕生花だそうだ。

単衣のきものの御註文があるとバラ文様をお勧めすることが多い。単衣は6月と9月に

着る決まりがあるのだが、最近は気候の変化で5月から袖を通す人も増えている。

バラの花は1年中見られるが最盛期は5月と10月、単衣に打ってつけだと思う。


バラの単衣附下 (円は生地の地紋)  
               kimono                 
                                                      

バラの訪問着        kimono

                                                    
                                  
5月18日(木)                                
蹴鞠の帯 太鼓の部分    obi      
     
NHK大河ドラマ<おんな城主直虎>で尾上松也丈扮する今川氏真が蹴鞠(けまり)に興じる場面が

何度かあった。平安末期以後、貴族社会で盛んに行われるようになった鞠を蹴上げる遊戯だが

私は郷里の金刀比羅宮の庭で実際に見たことがある。友禅の仕事を始めて5、6年経った

5月の連休だったと思うが参拝の途中、不思議なかけ声を聞き脇の庭に入ると貴族装束の男性達が

優雅な所作で鞠を空中に蹴り上げていた。見物の人達が周りを囲み長閑で楽しそうだったが、私は

近くにある静かな書院が気になり許可を得て中へ上がった。広い書院は人気がなく、円山応挙、

伊藤若冲などの作品を自由に見て歩くことができた。当時若冲は世間に知られてなく、私はその出会いを

誇らしく感じている。さすがに手で触れることはなかったが(もし触れても咎める人がいない状況だった)、

鼻先が着くほど壁面の”花丸図”に接近して見た。

何時か蹴鞠文様のきものを染めたいと思っていたが、やっと昨年の個展に出すことができた。

前の文様は蹴鞠を行う庭に植える四本懸(しほんがかり)と呼ばれる、桜、柳、楓、松を配した。


          obi

                        obi
         
 最近、美術史を専攻している親戚に金刀比羅宮の若冲の話をすると、彼女は早速出かけて

行ったようだ。すでに応挙も若冲もガラス張りになっているとのこと。因みに金刀比羅宮には

”なよ竹物語絵巻”(重文)という蹴鞠の場景を含む南北朝時代の作品もある。

            
なよ竹物語絵巻”の部分  左下 白く丸いのが鞠
     アート作品


     
4月4日(火)
          
唐扇の帯      obi


     
このはは最近お納めした、金通し生地、唐扇文様、本友禅のの帯。

紫のお好きな方で、地色は色々な紫の見本から選んで頂いた青紫。

以前はこの唐扇文様を、朱や青緑の地色で染めたこともある。文様の中の彩色を

地色に合わせて微妙に変えるのも愉しい作業である。

写真では金通し生地のキラキラした糸が見えなくて残念。  
           
           
     4月1日(土)

神田川の面影橋近くにある古い木造の茶席”八雲庵”は二階の広間から川に沿って

咲く桜を眺めることができる。ろうたけた庵主自らが調理する懐石料理も定評があり、

茶道の先生や社中の人達と一緒に初釜、茶事と度々訪れたことがある。その頃から

二十年以上経ち、先生も亡くなり庵主も御高齢になられたためか、仕事でよく門前を

通るが雨戸も閉まり、ひっそりしていた。昨年、近くに住む人から桜の咲く季節限定で

Cafeが開かれると訊き、楽しみに待ち初日に行こうと決めていた。



3月30日  八雲庵の二階から眺める神田川の桜
        八雲庵

庵主は九十五才になられたそうで、残念だがお会いすることはことはできなかった。

面差しが似たお身内の女性が気さくに応対してくれ、写真も撮ってくれた。

                    
八雲庵の門前    八雲庵の門前

”八雲庵”は型染の老舗、富田染工芸の一角にある。

”東京染ものがたり博物館”もあり、東京染小紋や江戸更紗の展示場や、型置、地染、水洗などの

作業場を公開している。

博物館のオープニングには女優、故沢村貞子さん所持のきものが展示され盛況だった。

沢村貞子さんは日常もさり気なくきもので過ごす方だったので、きもの好きな人達の間では

敬愛を込めてよく話題になった。私も展示をいの一番で見に行ったが意外なほど、華やかな

場所で着る黒留袖や袋帯を含め、質素な印象を受けた。いや、江戸っ子気質の淡泊さと

いうべきか、シャキシャキした喋り方を思い出しつつ沢村貞子さんらしく貫かれた生き様(よう)、

美意識に感服した。


富田染工芸が得意とする江戸更紗のきものをサロン劇場で観たことがある。

サロン劇場とは富田染工芸の近くにある肥後藩主細川邸の応接間で催される村松英子さん

中心の演劇で、私が観たのは三島由紀夫の近代能楽集の<班女>だった。村松英子さんが

演じる花子の衣裳が更紗で、細川邸玄関の空間にも付下にした見事な更紗が飾られていた。

すべて富田染工芸の提供だったのではないかと思っている。



                 
神田川の桜    神田川の桜

                


 3月19日(日)

昨日は小さな旅をした。静岡県清水港にあるフェルケール博物館へ、フェルケールは

ドイツ語で交通という意味らしい。清水港に関するな資料もあるが、厳めしい博物館ではなく

水に浮かぶようなレンガ造りの建物で、海事教育や文化振興の役割を果たし地域の

静かな憩いの場所になっている。


フェルケール博物館の玄関   玄関
    

現在ここで<大正ロマンと女性の手仕事>という、大正から昭和時代前半の裁縫品や

調度品の展示会が行われてい
る。      
                     

カタログの表かたろぐ紙    ポスター

会場   展示品

           展示品
                 
セルロイドのケース    展示品
                    

戦前のランドセル     展示品

     
明治時代後半に共立女子職業学校(現 共立女子大学)で学ばれた方の裁縫品を中心に、

つまみ細工、背守り、押絵、衣類とともに、当時のモダンな硝子のランプやインク壺、七宝の

コースターなども並べられている。私には幼い頃、鏡台の引出しを開けて遊んだセルロイド

の化粧ケースや、従弟達が背負っていた絵入りのランドセルが懐かしかった。   

昨日は共立女子大学家政学部、田中淑江先生の”生活を彩る女性の手仕事”という

記念講座があり、展示品の説明ではなく、なぜ女性達が細やかな手仕事に祈りを込めて

家族を守り、生活を豊かにしようとしてきたかという根源的な歴史を明解に語られた。

繰り返された、子供の命が儚かった時代という言葉が心に残る。そして如何に僅かな

端切れ布が貴重で、慈しむように大切にされたかということに改めて思いを馳せた。

田中先生は綾の手紬、秋山眞和氏のきものに私が染めたトランプの帯を締めて下さった。

帰りの新幹線で「トランプの帯はアンティークな会場に合ってましたね」と仰った、その通り。



田中淑江先生 一男一女の優しいお母さまでもある
   田中淑江先生

  obi          
          
      

         
      
3月1日(水)

                      初節句のお祝い

        雛祭り
           
思わず笑みを誘う、和やかに初節句を迎えた母娘の写真が届いたのは三年前だっただろうか。

お母さまの成人式に振袖を染めさせた頂いた御縁である。

可愛い主役はピンクの水玉の上衣、スイトピーもピンクで春を感じさせてくれた。金屏風の立派な

お雛さまの横に赤い友禅小紋の被布? もう三才の七五三用の準備かしら? 私はこの写真を

見るまで、お雛さまと一緒に被布を飾ることが流行、いや定着していることを知らず、

華やかで綺麗だなあと思った。いつ頃からか、お雛さまを買うと被布が添えられ若いお母さまたちは

極自然に一緒に飾るものだと思われているらしい。

昨年個展の折、人形大手メーカー資料室の方がお出で下さったので、いつ頃から被布を飾るように

なったのか尋ねてみた。二十年位前からだそうで、販売促進の景品としてあれこれ考え、安価で

見映えのする化学繊維の被布に辿り着いたと話してくれた。華やかで綺麗ですねと私がいうと、

男性だが染織に造詣が深いその方は、被布の扱いに忸怩たるものがあるようで「被布は着るもの

です。飾るものではありません」とキッパリ仰った。率直さに内心笑いが込み上げてきて困ったが、

その生真面目さに敬意を表しつつ、被布を飾るのはいいアイデアだと思った。


                 身代わり人形?
        人形

近くの歴史資料館にある雛壇を見ていると薬玉、貝合わせ、お手玉など女の子が好みそうなもの

厄除けになりそうなものが自由に飾られている。以前にも触れたが、 私の幼い頃は本人と同じ

きものを着せた災いを代って受けてくれる等身大の身代わり人形を飾った。上の写真、資料館に

あった朱色のきものの大きな人形は一、二歳用の身代わりではないかと思われる。
     

                 御殿飾りの雛壇
        雛壇
      
同じ会場には最近見掛けなくなった御殿飾りの雛壇もあった。もっと素朴だが私のお雛さまも

御殿飾りだった。御殿を組み立てる時になると、弟や従弟たちが興味津々で寄ってきて

手伝おうとしたが、壊されそうで心配だった。昔、昔のこと。



 2月4日(土)

肥後細川庭園の白梅    park
                 
           紅梅    park

      
染工場の帰り、永青文庫に隣接する肥後細川庭園へ寄った。

写真のように梅が見頃で、遅咲きの白梅もふっくらと開いていた。肥後細川庭園は

肥後藩主、細川家下屋敷の庭園で現在は文京区が移管している。以前はあまり整備されて

いなかったので知る人ぞ知る、ひっそりとした憩いの空間だ。    

永青文庫を初めて訪れたのはもう四十年近く前のことで、茶道の先生と一緒だった。先生に     

「建物の中が寒いから暖かくして来なさい」といわれ、着込んで行ったのだが、寒かった。

もちろん暖房をしているのだが、木々に囲まれた館は冷え切っているのだろうか、多少の暖房では

効き目がないようだった。先代の御当主が自ら展示品の解説をして下さり、時々ガラスケースを

開け、直接美術品に触れさせて下さることもあった。展示された貴重な資料や美術品もさること

ながら、寒さなど意に介さぬ、御当主のスラリと背筋の伸びた佇まいが印象に残っている。

その後永青文庫では公開講座が行われることになり、染織コースもあったので参加した。

特別宣伝もしなかったようで、染織コースの初回は三人、次からは二人、最終回は私一人に

なってしまった。それでも理事の方が担当の講座は充実していた。能面が意外なほど軽いこと、


装束は繰り返し修理されていること、お姫さまが註文なさったきものの雛形本の中の五~六ミリ

の菊の花びらも一枚、一枚毛筆で描かれているいることなど、貴重な発見があった。

最終回は名物裂で、茶入れの仕覆が机の上に並べられた。年末で風邪が流行り、理事の方も

もう一人の受講生も欠席。折角蔵から出すので、茶道コースの方々にもお声をかけたようだが

皆さま御都合がつかず、「どうぞごゆっくり」といわれ、私だけが仕覆と向き合うことになった。

名物裂は本や美術館、茶会で数々見ていたが、まだまだ人目に触れずどこかで静かに眠っている

ものもあることを知った。あの時の”細川孔雀文”と名づけられた裂は正に一期一会だった。

                      

1月4日(水)
                         
暖簾 男舞       暖簾                      

古い写真を整理していると、新春らしい御幣を負った男舞の暖簾と凧が出てきました。暖簾の方は三枚つなぎ半間用で、

三種の男舞の中の一つが上の写真。奇抜なきものを好む友人に贈りました。

児雷也の凧は染色教室の見本用に描き、しばらく教室にかけていましたが久し振りに見ると稚拙で苦笑してしまいます。

若気の至りということで初笑い。    

                    
 
暖簾 凧の児雷也    暖簾
                       

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