2012年 

4月14日(土) 


上京して親戚宅にいる折、思いもかけず東京で手描友禅染の仕事ができることを知り、工房に入ったのは

1968年の4月でした。

あれから44年たち活気のあったきもの業 界も山あり谷あり、変わらないのは一生修行という気持です。

友禅染工房の仕事は下絵を反物に写すことから始まり、一週間もしないうちに彩色筆を持たされました。

蝶の模様でした。先生から見本の反物をわたされ「この通りに」といわれただけで指導はありません。

周りの先輩達を見習って染料を解き滲み止めの助剤をいれるのですが、初めに描いた蝶は滲み止めが

足りなかったようで形にならず染料がアッという間にクリーム系の地色の上を走ってしまいました。途方に

くれる私に気がつかれた先生は「後で直すから、そのまま、そのまま」と平然としておられました。

どのように直されたのか定かではありませんが、業界では「色がついていれば売れる」といわれるほど生産に

追われる時代でした。

そんな失敗にもかかわらず私は蝶の模様を好むようになりました。色や形の美しさもありますが一番の理由は

映画で蝶の模様の衣裳にインスパイアされたからです。菊池寛作<藤十郎の恋>という江戸時代の歌舞伎役者と

芝居茶屋の内儀の物語で、モノクロです。(詳しくはWebsiteを御覧下さい、中々の名作です)最後の場面、

自死を決意した内儀の暈し入りのきものに は白と黒の蝶が幾つも舞い、深くやり場のない想念を浮かび上がらせて

いました。きものにはこのよ うな心象を表現する力があるのだと驚きのような感動を覚えました。

美術を担当していたのは小村雪岱、なるほどと納得いたしました。

        
蝶の袋帯蝶の模様の帯

                                                                                                              
5月2日(水) 源平合戦 壇ノ浦                                                              

  平 家物語の「頃は三月二十四日のことなれば、海路遙かにかすみわたる。ただ大方の春だにも〜」という

 長門壇ノ浦で源平最後の合戦となった三月二十四日は 太陽暦では五月二日になると知りました。

 郷里、四国高松から眺める瀬戸内海もこの頃、正に海路遙かにかすみがわたります。

 高松の屋島にも那 須与一の扇の的で有名な平家物語ゆかりの古戦場があり、壇ノ浦といいます。
                                      
学校で歴史を習うまで、私は源平最後の合戦は屋島の壇ノ浦だと思っていまいた。        

上京してからその話をする機会があり、同席なさった思想史の先生から「今でもそう主張する学者

がいますよ」と聞かされ、なぜだか笑ってしまいました。


武具の訪問着KIMONO
 
                                                                                                                                                                                                                
 6月4日(月) 菖蒲

 渋谷に住んでいた頃、明治神宮の菖蒲田へよく写生に行きました。品種が多く、個性的な花が多いので

写生には好都合でした。名前もそれぞれ床しく、写生の手を止めて名札に見入ったものです。

江戸菖蒲が中心なので、大江戸、江戸自慢、そして紫衣の雪、笑楽遊、濡鴉、酔美人、七小町などなど。

細長い菖蒲田に沿って歩くと                                                                                                                                                          
細長い菖蒲田に沿って歩くと突き当りに清正の井戸があり、いつも澄んだ水が湧いています。

 
菖蒲の名は武蔵川  obi
                                                                                         
              
7月2日(月) 七夕

友禅染としての七夕文様は、雛祭文様と同様、身につける期間が限られるので贅沢です。

だからこそ染めて欲しいという方もあり、何点か染めさせて頂きました。帯には笹の葉、梶の葉、

短冊、五色の糸などの文様、そしてきものには機(ハタ)や箜篌(クゴ)の文様を加えました。

七夕は棚機とも書かれ、女子の機織や手芸が上達するよう祈る行事なので機は必ず入れます。

では箜篌はというと、これはただ私の好みです。ハープに似た古代楽器で、正倉院の残欠から

復元されたものを見てから虜になりました。

                                                     
     七夕の帯  obi                                                                                                                           
                    
箜篌のきもの kimono 
                 

8月8日(水) 黒百合

夏になると箱根の山百合を思い出します。鬱蒼とした木々の間からポッカリ顔を出し、悠然と風に

揺られる大輪の花は、しなやかで強く、一瞬の涼を放っています。しかし、最近箱根で過ごされる方に

伺うと、自然に咲く山百合はほとんど見かけなくなったそうです。

黒百合には神秘的な響きがあります。「黒百合は恋の花 〜」この情熱的なフレーズとリズムで始まる

アイヌの夜祭を題材にした唄がラジオから流れたのは私が子供の頃でした。黒百合なんて本当に

あるのだろうか、というのがその時の子供の感想であり、日本では本州中部以北から北海道の

限られた高山や湿地に咲くと知ったのは後々のことです。黒百合の文様は夏帯のアクセントとして

よく使います。実物は黒ではなく茶や紫に近い。種類が多く形も様々ですが、ラジオの唄を聴いた時

漠然と浮かんだ、黒く妖艶な花を描くようにしています。
                    

                                                
黒百合の夏帯 obi              
                                                            


10月10日(水) 伝統の色

私の生まれた四国高松では十月に市の氏神、石清尾(いわせお)八幡宮の祭があります。

子供の頃は市内だけでなく、近在の町や村からも御練(おねり)に参加する獅子舞、毛槍行列などが

 門付けをしながら集まり、家々では小さな御祝儀袋を幾つも用意して歓待する盛大な祭でした。

その頃、四国には七五三という行事はなく、子供は祭に合わせて年齢相応の晴着を新調してもらい

 ”お八幡さん”で御祓の後、参道の両側に延々と続く露店を巡り歩きました。


         obi
                                                     
 この帯は私が三才の時の晴着だった生地を使っています。洗い張り後、長く納戸にしまわれていましたが何か形にして

おきたいと思い、 牡丹色の緞子を垂にして仕立ました。地色の紅は大正から昭和初期にかけて一世を風靡した化学染料

ローダミンの名残で百花繚乱の華やかな型友禅を引き立てています。

 ローダミンは戦前に東京新橋の芸者衆が流行させた澄んだ緑味の青、つまり新橋色とコーディネートされ帯揚、帯締、

羽織紐などに多く使われています。私はこの配色の帯留用三 分紐を 茶道の師匠から譲り受けました。日本橋の貴金属商に

 嫁がれた師匠が戦時中、禁じられた貴金属に代わり扱った和装小物の一種で、未使用のまま保管されていました。
                                                                                                                                             
                                      
戦前の和装小物wasoukomono                       


                   
師匠から譲り受けた三分紐と舟の帯留
sannbuhimo                       

                                                                                
ローダミンは戦後見かけなくなりましたが、日本の伝統の色を調べていますと古代から紅は紫と同様、憧れの的だったようです。

といっても身に着けられるのは上流階級に限られ、江戸時代になっても、紅花染、紫根染という本染は高価、贅沢ということで

庶民には禁じられました。しかし庶民はしたたか、甚三紅(ジンザモミ)、似せ紫など安価な染料を苦心、工夫して本染に近い色を

 楽しみました。明治になって輸入され、簡単で鮮やかに発色するローダミンやメチルヴァイオレットは熱狂的に迎えられたことでしょう。                   

最近きものの地色や模様にローダミン系の色を使うことはほとんどありませんが、バックやスマートフォンのケースとなって、

無機的なグレー、ブラックの中で華やかなパワーを発揮しています。
          
                        
 
12月3日(月) ふくら雀

最近ベランダを訪れる雀が少なくなりました。しかも痩せています。

冬の雀はふっくらと羽根を膨らませ寒さを防ぐので、ふくら雀といいます。

帯結びにも若い女性の盛装用にふくら雀という形があります。後から見ると雀が羽根を広げているようで、

私の成人式の頃はほとんどの人がこの形に結びました。雅子さまや紀子さまが御婚約の式に結ばれて

いたので、テレビやグラビアなどで御覧になられた方も多いと思います。

きものの模様や、家紋にも図 案化されたふくら雀があり、お伽話に出て来るように愛らしい。


図案化されたふくら雀 雀

                   
                                                           
                 
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